ノストラダムス予言研究家 ザール隊長

ノストラダムス「北方の巨大地震と横浜市磯子区西町を震源とする大地震によって、東日本は震動します。また、東日本のほとんどは様々な機能を失い、崩壊します。やがて、日本人の大半は命を落とします。来年、3月3日、5月5日に地震はあります。やがて政府も潰れ、北海道・東北・関東は間違いなく住めなくなるようです。あなたは激動の時代を生き残れますか?日月神示に関する記事は多くあるのでお読みいただければ幸いです。

 仏教によって不安や恐れを取り除くことができ、心の平和をを築くことができるとリンポチェは説きます。死に対する不安も克服することができるのでしょうか?
 戦後のベビーブーム世代、大量に生まれた人たちは既に65歳を超えました。誰もが自分の死を意識する年代になります。その中で死に対する恐れや不安を持っている人も大勢します。
 いずれ死を迎える存在として、死とどのように向かい合えばいいのでしょうか?
 死は人生において最後に迎える苦しみです。その苦しみを少しでも和らげることができるうよう、今からできることは?

 死に直面したとき、役に立つのは何でしょう?
 自分がそれまでよい行ないをしてきたという事実です。正しい実践をしてきたという自信が、死に直面したときに大きな意味を持ちます。私たちが死に直面するまでに注意すべきことは、正しい行ないをするよう自分を方向付けていくことです。
 普段私たちは、自分自身の身体を、所有する財産を、あるいは親しい人たち、友人、家族を、非常に大切にしています。皆さんもそうですよね。しかし、死に直面したときには、いずれもまったく役に立ちません。
 死に直面したとき、私たち自身の心の中に満足感があれば、他の生きとし生けるものに対するやさしさと思いやりがあれば、あるいは、他の人たちの役に立ちたいという利他心があれば、私たちの死は確実に安らかなものとなります。
 つまり、悪い行ないを一切しないように努力し、できる限りよい行ないをして功徳を積んでいれば非常に安らかな心持ちで死を迎えることができます。
 できるだけのことをしたんだという満足度があり、他の人たち、他の命あるものたちに害を与えることもなかった人生を振り返ることができれば、死を喜びをもって、何の不安もなく迎えることができます。
 そうした死を迎えるのは決して簡単ではありません。死ぬまでに、完璧に正しいことができたと思うようになれることが理想ですが、実際はほとんどの方が不安や心配をたくさん抱えているものです。


 いくら財産や地位を築いても、「やって後悔した」「やらずに後悔した」といった思いがあっては、安らかな気持ちで死を受け入れられませんね。
 自分の志に沿わない仕事を強いられている方、本当にやりたかったことを抑えている方は多いでしょう。若い頃なら、色々な経験をして世界を広げることが必要かもしれませんしかし、人生も後半戦に入ったら、「このまま続けていて後悔しないか?」を基準に生き方を見直してみる価値はありそうですね。

 大切なのはこれからです。
 これからの人生をできるだけ注意深くことです。他の人たちの役に立ちたいという思いで、やさしさと思いやりをもって接することによって、自分自身の心を安らかな状態に近付けることができるでしょう。
 自分が今までしてしまった間違った行ないをできるだけ清めていきます。告白し、懺悔し、正しい行ないをすることで、過去の間違った行ないを浄化することがでいるのです。こうした姿勢でこれからの人生を送れば、死に直面したときに、大いに役立つと思います。
 死に直面したとき、それを恐れるか、何の不安もなく迎えられるのかは、皆さんのご自身の手中にあるのです。


 死を不安に思ったり、恐れたりしないためには、後悔しない人生を送ることが第一だとリンポチェはおっしゃいます。そして、後悔しない人生とは、物質的な達成感ではなく、いかに心が満たされているかが基準です。
 「大切なのはこれから」というのが、リンポチェから私たちへのメッセージです。

転載:『池上彰と考える、仏教って何ですか?』 池上彰著 飛鳥新書 2014.10.20
    2012年8月に刊行された単行本に加筆・修正を加えて文庫化したものです。

第1回:

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